過去とどう付き合っていくか
どーもイワノリです
今回は
「過去」
について書きたいなと思いました
昨日参加した
『世界を変えようとするバカたちの集い』
の話の中でも幾つかお話が出てきたのでそれも交えながら書きますね
過去とは
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過去とはあなたの顔である
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過去は一種の物差しである
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過去は結局、過去である
こうではないかなと今は思います
では一つずつ書いていきます
『過去とはあなたの顔である』
過去とはその人が生きてきた一つの証であり、
履歴書みたいなものですね
過去に起こったことが今を作っていて
今の自分たちが生きているんです
今までの積み重ねが今の自分を作っているということですね
過去とはあなたと言ってもいいと思います
では顔というのはどういうことか?
過去の話を聞いたりすると
その話してくれた人がどんな人であったか
その時の心情なんかも聞ければ
「この人はこんな人なんだ」と
イメージをしますよね
だから履歴書であり顔なんです
まあ過去を描くのが履歴書ですからね
過去でその人がどんな人かなんとなくわかるということです
過去の行いが良いにしても悪いにしても
どちらもあなたの印象を決めるものになります
『過去は一種の物差しである』
これは昨日のシンポジウムでそのような言葉がありました
まずは元LINE社長であり、現在はC CHANNEL株式会社社長の森川さん
僕が初めて社長になった時にやったことがある。それは全社員の給料の見直しだ。これまでの勤務年数や過去の成果を評価しての給料ではなく、今後会社に利益を出してくれる人に多く出そうと考えたからだ。
今までは過去の成果や会社に貢献してきたことを
「一つの物差し」としてそれを基準に給料が払われていたということです
もう一つは 株式会社サイアメント 瀬尾さんがお話しされた「偏差値」の話しで
これはデジタルハリウッド大学学長 杉山さんからの
「偏差値というものは必要であるか?」という問いに対しての答えです
僕は必要だと思います。それは一つのフィルターになるから。
偏差値がいいってのは頭がいいということ。
頭がいいってのは天才か努力家な人だから、偏差値がその人の努力を証明してくれるということになる。(努力の可視化)
これは過去の努力が偏差値という形になっているだけであり、
それが「一つの物差し」となっている形ですね
このように何かを評価したりする際に過去は「一つの物差し」として
見られることが多いんです
ただ森川社長の話しだとそれまでの物差しではなく先を見た期待値を給料に反映していく形にしましたが、ほとんどの会社が過去の物差しで見ているのではないでしょうか?
『過去は結局、過去』
これはそのままですね
「過去は過去」
それ以上ではなく、それ以下でもない
過去の栄光や成果は自分では忘れるくらいがちょうど良いと思います
自分でそれを周りに伝えても聞く方はそこまで響きません
それよりこれからのことを話す方がワクワクします
いつまでも昔のことを引きずっていると今に影響してきます
自分たちは今を生きているんです
人間の脳は結構優秀で、過去のことを自分勝手に記憶して
記憶をでっち上げてたりもします、自分の都合のいいように
だから昔は良かったとか、昔に戻りたいと思ったりもするんです
けどやり直せるものでもなければ戻ることなんてまだできません。
だったら過去のことは教訓や戒めくらいで十分
未来を見て生きる そうしないと面白くないと思いませんか?
昨日はダメだった、だったら今日はよくしよう!
明日はきっと良い日になる
そう思うだけでも気が楽になりませんか?
自分たちは今を生きていて
過去は思い出として
未来を希望として持っているんです
過去にとらわれない
そうするといろんなものが新鮮に見えてくるかもしれませんよ?
ではまた